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始めに1999年8月29日 山口マツダ・株式会社リードが主催する美祢サーキット走行会に参加しました。1999年は3月から11月まで9回の走行会が開かれました。私は6月27日の走行会にも参加し1分56秒163を記録していましたが今回はHKSサスキットを装着してきたこともあり1分52秒111までタイムを短縮することが出来ました。 ちなみにセミレーリングタイヤとサーキット用ブレーキパットを装着した280馬力のRX-7(FD3S)type-RS(エンジン系統・サスペンション系統はノーマル)を従野 孝司選手が運転されると1分47.9秒から48.5秒を記録します。 従野 孝司選手は マツダから1982年より10年連続ル・マンに出場されクラス優勝2回を経験されておられるプロドライバーです。当日は従野選手の同乗走行も断続的に行われ3時間に渡って前記のRX-7を運転されておられました。私も乗せてもらいましたがコーナーで非常にダイナミックにハンドル・ブレーキ・アクセルを操作されるのですがアンダーもオーバーも出されないのは驚きでした。 |
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準備前日の8月28日 昼まで仕事をした後に松山市に移動。松山市のレンタルガレージでブースト計を装着し、ホイールバランスを取り直しました。阿讃サーキット走行後の原因不明の振動のためですが バランスを取り直したあとも振動には変化がありませんでした。タイヤのエア圧も2.0キロにそろえておきます。私の持っているエアゲージとガソリンスタンドの計器が10%くらい誤差ありましたがどっちが正しいか判らないので中間をとって調節しました。 |
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美祢サーキットへ夕方 愛媛県松山観光港(三津浜港)から山口県柳井市へフェリーで移動します。2時間20分かかり柳井市につくと夜の10時くらいです。北上して山陽自動車道玖珂ICに向かいます。その途中に”ゴールデンアイネ”とか”アイネ伝説”とかラブホテルがあるのですが 今回は費用削減のため美祢サーキットゲート前にテントを張って寝てしまいます。 美祢サーキット前についたのは丁度午前0時、月明かりが明るかったのでテントは張りやすかったです。だれも来ないと思っていましたが午前2時頃から続々と車が集まってきます。どうやらジムカーナの試合がサーキットの駐車場であるみたいで その方々みたいでした。午前6時に起床。6時30分に美祢西ICの側にあるヤマザキ(コンビニ)がオープンするので朝食・洗顔に移動します。 |
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ブレーキが効かないサーキットに戻ると既にゲートが空いていました。パドックに車を止めてブレーキのエア抜きを始めます。完了して試走してみると全くブレーキが効かなくなっていました。すでにその頃は車両点検をしている時間でしたが ”ブレーキが利かないんです”の私の言葉にスタッフの方は目が点になっていました。原因は右側フロントに大量にエアが入っていた事で大失敗でした。ドライバーズミーティングが終了する頃には無事エア抜き作業も終了しました。 取りあえずショックの減衰力を前後とも最強にセットしてコースインします。 |
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午前中の走行午前中に15分間の走行が2回あります。2000ccで車両は A.Bクラスに分けれます。過給器は1.4倍換算です。ここの走行会はA.Bクラス交互に走行するのですが間隔が短く車の側を離れられません。 Bクラスは25台の参加ですが コース場で数珠繋ぎになって渋滞気味でした。途中でゼッケンが剥がれてピットインしたりしたので完熟走行とクールダウン走行を含めて5周しかできませんでした。ベストタイムは1分55秒。水温もコンデンサ前斜加工が効いたのか95度で安定しています。久しぶりに聴く愛車の爆音...。普段はインナーサイレンサーで封印されていますが いいですねえ。しびれます。 ![]() マツダスピード福岡の方の博多鳶号は4型FDをベースとした車で MSのGTコンセプトフルエアロを組んでおりインタークーラー・ラジエターもV-マウント加工されていましたが水温はかなり苦しそうでした。タービンはオートエグゼのハイフロータービンが装着されていました。スプリングは前18キロ・後ろ9キロだそうです。(?) 続く2回目の走行は もっと酷い渋滞でタイムアタック中か完熟走行中か判らない状態です。ベストタイムは2分3秒.....。5000回転シフトでヘアピンなんかは前が詰まって一時停止しそうです。2回目の走行も6周で終了しました。 |
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お昼休憩-同乗走行ここでお昼休憩になりますが 午前中は2分以下で走れたのはたった1周でした。これじゃイカンという事で作戦変更!。午後はピットレーンに並ばず みんながコースに出てしまったあとにピットから発進することにしました。また進入アンダー立ち上がりオーバーでしたので 後ろ側を最強のまま 前側を10段中4段もどしの設定に変更しました。 この間に従野選手の同乗走行もしてもらったのですがRSのノーマルサスにセミスリックという組み合わせでもアクセル踏みまくりです。ほとんど全開でパーシャルスロットは1瞬(コーナー立ち上がり0.5秒くらい)しかありません。サスはもちろんフルストロークしていすのですがカウンターは当てていません。どうしてかと尋ねると”進入をオーバースピードにしてフロントを滑らせているので(アクセル踏みっぱなしでも)カウンターはいらないんだ”と平然と言われました。そりゃ理屈はそうだけど.......。次元が違うなあと感じました。 |
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午後の走行-コースアウト3回目の走行は作戦が的中してクリアラップを取る事が出来ましたが2周もすると数珠繋ぎの列に追いついてしまい 間隔をとるためにペースダウンを強いられました。 5周目にこの日の最速ラップである1分52秒111を記録しましたが その直後の2コーナーで止まりきれずにグラベルに突っ込み敢え無く3回目の走行を終了しました。リップスポイラーが折れてしまいました(;o;)。 ![]() 2コーナーのグラベルに新しいコースを掘っている?-?号 水温は107度まで上昇しましたがそれ以上は上昇しませんでした。スロットル付近での吸入空気温度も107度でARCインタークーラーの限界が感じられます。 減衰力を変更後アンダーは消失しましたが 立ち上がりのオーバーステアは変わらずアクセルを踏めない状況でした。(バネレートの問題?) |
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最終走行4回目の走行もめげずに頑張ります。1分52秒台のタイムを連発しますが タイヤがフニャフニャになっていたせいでタイムは更新できていません。1コーナーで2台のFDがコースアウトしたり第2ヘアピン手前でこれまたFDがスピンアウトしてyellow flag出まくりの状況でしたのでイマイチ踏み切れませんでした。 5周目には最終コーナーで痛恨の大オーバーステアを誘発!斜めになったまま立ち上がろうとしましたがハープスピン状態になりました。前を見るとスカイライン(GTS-t)も同じようにハーフスピンしていました(激笑)。 従野 孝司選手との同乗走行で発見したことも沢山あり それを試す意味で もっと周回を重ねたかったのですがここで今日の走行は終了です。 |
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パーツインプレッションM7Rは発熱しきるとグニャグニャになるのですが TI・阿讃を1回ずつ・美祢を2回走行していますがまだまだ5部山くらい残っています。もちろん普段の通勤お足としても使用しています。トレッド面は綺麗に融けていますがブロックやサイドウオール崩れも見られません。Hot versionによると接地面積は広くなく面圧でグリップを稼ぐタイヤだそうです。とりあえずこのままこのタイヤを使い切ろうと思っています。 プロジェクトμのHCチタン改ですがフェードは全く経験していません。パットの厚みも美祢を2回走行したあとでも1/2は十分残っています。 パワーFCですが色々細かいところには注文のつけたくなるのですが 大変気に入っているのが本音です。FC-コマンダーを今回導入して魅力倍増です。ブースト・水温・吸気温度も表示されますので取りあえずFC-コマンダーがあれば各種追加メーターは省略することもできます。 HKS HYPER DAMPER KITですがこれについては良くわかりません。ノーマルサスより格段に安定するようになったのは事実です。バネレートは前後8キロくらいが良いような感じを受けます。実は手元に12キロのバネが4本あるのですが 交換するにはまだ至っていません。 |
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?-?号走行状況直線で他車に見る見るうちに追いつくのですが コーナーでインをつく勇気もなくコーナー手前でパーシャルスロット状態です。 コースレイアウト(美祢サーキットhomepageへのリンク)
以上完全なグリップ走行で 最終コーナー2つ目以外は全くタイヤが滑っていません。1コーナーも早め減速しすぎて途中でもう一度アクセルを入れている状況ですのでもう少し詰めれば50秒を切れるのではないかと思います。またもやシビックに負けてしまいました。 エンジン関係は全く問題ないですが 吸気温度が高すぎるのでもう少し自作加工で工夫して見るつもりです。
帰りは行きと同じ行程ですが 佐波川SAを出たくらいからサーキットで一緒に走っていたFDの集団と一緒になり玖珂ICまでつるんで走りました。お別れにはハザード・パッシングでご挨拶しました。RJメンバーではないと思うのですが 気持ちのいいものです。 |
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![]() リップスポイラーがポッキリ折れてしまいました。エアコンの放熱器の前傾加工とナンバープレート部の吸入口拡大など わかりますでしょうか?次回はナンバープレート部の吸入口からフレキシブルチューブでエアクリーナーまで直接風を導くようにしたいと思います。 |